僕と小久保裕紀(2)
2003年 小久保裕紀 巨人へ無償トレード
プロ野球史上としてもそうですが、
スポーツ界において、これ以上摩訶不思議な移籍は今後もなかなかないのでは?と思っています。
今でこそ著書や、引退後のインタビューなどで語ってくれていますが
当時少年の僕は「大人の事情」などもよくわからないのでただただショックでした。
ホークスにおいて「4番」という重責を担っていたのもそうですが、
もっとも凄かったのが、チームメートや監督だけでなくファンからも「リーダーシップ」のある選手として認識されていました。
それはチームとして指針を失ったようなものでした。
恐らく沢山のホークスファン、選手がそうであったように、
僕も球団不信になりました。
だって小久保選手を出す意味が分からなかったから。
だってだって選手がV旅行を放棄してまで球団に異議を唱えていたから。
だってだってだってあの王監督がメディアに通して球団にあれだけ厳しいことを言ったから。
ファンは球団ではなく選手と共にある。
正しくその通りだと思います。
結果、僕はダイエー系列で買い物をしなくなりました。
いや、規模が小さい。笑
ただ当時の僕には精一杯の抵抗でした。
まぁそれでもホークスを応援し続けたんですよね。
巨人にいった小久保選手も。
だからやっぱり2006年のオフにもう一度ホークスに帰って来てくれた時は嬉しかったです。
それからはずっとホークスのキャプテンとして応援させて頂きました。
王監督最後の年が最下位で悔し涙を流していたこと
400本本塁打
日本シリーズ最年長MVP
引退直前の2打席連続ホームラン
現役最後の試合がまさかのノーヒットノーラン…
クライマックスシリーズではホークスとファイターズ両軍による胴上げ
様々な感動シーンを見ることが出来ました。
ノーヒットノーランに関しては僕は笑っちゃましたね。なんかもう最後の方はノーヒットノーランの方が記憶に残るって、西投手を少し応援しましたもん。笑
そんな数々の名場面を作ってきた小久保選手ですが、
僕にはその中でもとても印象に残っているエピソードがあります。
(リアルタイムで見たわけではなく後で知ったのですが…)
小久保選手が未だ若手だったころ、
小久保選手のエラーが一因で負けた試合があり、試合後記者からそのエラーについて質問責めにあったそうです。最初は真摯に答えていたそうですが、若かった小久保選手は段々イラッとしてしまったそうで(誰だってありますよね、そんなこと。)
「僕にはこれが精一杯なんで」
と少し投げやりに答えました。
そうしたら翌日の新聞にそのまま小久保選手の言葉が掲載されてしまったみたいです。
そして、その記事を見た王監督がすぐさま小久保選手を呼び出し
「我々の仕事はファンに夢を見せる事だ。このような発言をすると、ファンは小久保裕紀という人間に対して夢を見ることが出来なくなる。今後二度とこのような発言はするな。」
と叱責したそうです。
それ以降王監督を野球人としてだけでなく、人間としても尊敬するきっかけになったそうです。
僕は有名人ではないので、人に夢を与えるとかそんな大層な目標を掲げたことはありませんが、
このエピソードを知って以降は
自分も信じてくれる人を裏切らないようにしたい。
自分を知る人間の期待には応えられるような人間でありたい。
そう思って今も邁進しております。
出来ているかは知りません。笑
ただ小久保選手に沢山の夢を見させてもらった身として、
最後までそれは貫いていきたいと思ってます。
小久保選手、
ありがとうございました!
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