僕とスポーツ選手

僕個人のスポーツ選手との思い出を記します。

僕と赤星憲広(1)

初めて見た日を忘れもしません。

 

2001年4月3日。

 

当時、僕は毎日の野球中継を見るのが何よりも好きでした。

親がいない間は自由にテレビを観ることが出来たので

家にあるスカパーやらBSやらを駆使して、1球ごとにチャンネルを変えて野球中継を楽しむ、

そんな少年でした。

 

その日も同じだったんだと思います。

 

僕はホークスのファンなものですから、ホークス戦を中心に

色々な試合をリモコン片手にテレビの前で観ていました。

どこぞのスポーツライターか、というくらいチャンネルを変えながら観ていた僕が

その瞬間を観ることが出来たのは「運命」だったのだろう。

と今でも都合よく思っています。

 

 

阪神タイガース  赤星憲広  プロ初盗塁

 

 

一瞬でした。

鶴田投手が投げた瞬間にスタートを切った赤星選手が2塁に滑り混んでプロ初盗塁。

 

「速っええぇぇぇぇ!!かっけえぇぇぇ!!」

 

テレビの前で叫んだのを今でも覚えています。

「足が速い」というのはいつの時代も子供にとっては憧れで、

「赤星」という珍しい名前や、「背が小さい」というのも重なって(僕も子供の頃から小さかったので)少年が惚れ込むには十二分の理由がありました。

 

それから野球観戦の仕方が変わりました。

 

赤星選手の打席の時は必ず、赤星選手の打席だけを見るようになり、

赤星選手が塁上にいる時はイニングが終わるか、赤星選手が塁上からいなくなるまで

チャンネルを変えなくなったんです。

そのおかげで、

1球ごとの駆け引きや、塁上での駆け引きの楽しさやプロの技を覚えていったように思います。

 

ただ、毎日野球観戦が出来たわけではないんです。

両親はまぁ、厳しかったんですかね。

テレビ自体をあまり見せてはくれませんでしたし、特に母はスポーツ観戦がさほど好きではなく

「時間の無駄」

といってあまり見せてはくれませんでした。

そして両親は大体19時前には帰宅していましたので、野球観戦が出来たのは大体1時間程度です。

赤星選手の打席も1打席、運が良くて2打席ほどしか見られませんでした。

 

当時は携帯など持っていませんでしたし、自分の部屋にパソコンやテレビなどもありませんでした。

ですので、毎日新聞で確認していました。

 

それも、父が朝早く新聞を持って仕事に向かっていましたので

朝刊で前日の結果を知ることは叶いません。

 

では、どのように結果を確認していたかというと

父の帰宅後、持って帰って来た朝刊をこっそり観て結果を知ることが多かったです。

 

要するに、1日経ってる試合結果を観て一喜一憂していたんです。

ですが、そうまでしてその人を追っかけていました。

ここまで書くと、

「あー、コイツ。ホークスファンから阪神ファンに変わったんだ。」

と思われてしまいそうですが、違います。

 

ずーーーっとホークスファンです。

 

ホークスをずっと応援しているんです。

ホークスが勝てば喜ぶし、負ければテンションが下がります。

ただ、阪神は負けてもいいんです。

赤星選手さえ活躍してくれれば。

赤星が打った、走った。と、知ればば喜ぶし、

赤星が5タコ。と知ればテンションが下がる。

だから2003年の日本シリーズは困りました。

 

ダイエー阪神

 

10月まで好きなチームと好きな選手が見られる喜びはありましたが

赤星選手には活躍して欲しい!

でもホークスに勝って欲しい…

 

そんな複雑な感情でテレビの前に座っていました。

チャンスで赤星選手に打席が回った時などは

 

「打てー赤星ー!」

 

とか言いながら、赤星選手が本当に打とうもんなら

 

「おい、なに打たれてんだよ!○○!」

 

と、投手にキレるという、ブラック企業の上司さながらの理不尽さでした。

ですので、出来れば阪神日本シリーズには出てこないでくれ、と思ったものです。

まぁ最も、

交流戦が始まってからは毎年同じようなことを繰り返していたのですが。

 

そんな毎日でした。

そんな毎日が今もまだ続いていると思ってましたが、

あの日、急に終わりを告げました。

 

 

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