僕と小久保裕紀(1)
僕は福岡ソフトバンクホークスのファンです。
そのきっかけがこの選手でした。
キャプテン 小久保裕紀
初めてプロ野球を見るようになったのが1999年。
その1年で野球のルールや楽しさを覚えていきました。
そして、
まず、日本シリーズというものがあるのを始めて知りましたね。
あと、パ・リーグ。
当時はまだ地上波でも野球中継をしていましたが、そのほとんどが巨人戦でした。
ですので最初は巨人ファンでした。正確には巨人戦しか観たことがありませんでした。
ですので、日本シリーズもパ・リーグとはなんぞや?から始まりました。
そこで惚れます。
第4戦で小久保選手がホームランを打つんです。
小久保選手は高い放物線を描く綺麗なホームランが多いことから、後にホームランアーティストとまで言われるようになります。
本当に今見ても惚れ惚れするようなホームランを打ってます。
それを見て惚れました。
ただ惚れたのは綺麗なホームランではなく、その後のバットを投げる仕草でした。
当時、野球をかじり始めた程度の少年には小久保選手の綺麗なホームランの魅力などわからず、打ったあと放り投げるバットが綺麗でカッコよくて。
友達と野球して遊んだ時にはよく真似しました。
【小久保選手の綺麗なホームランとバット投げ】
↓
そこからですね。
小久保選手を知り、ダイエーホークスというチームを知り、今でも好きで応援してます。
こうして振り返ると僕はバット投げから入ったのですね。笑
ずっと応援していたものですから、
2003年のオープン戦で小久保選手が怪我をしてしまって1年間の欠場を余儀なくされた時はショックでした。
ただ、結果として2003年はプロ野球史にも残るほどの結果をダイエーホークスは出しました。
その名もダイハード打線。
詳細は長くなるので省略しますが、とにかくビックリするくらい打つんです。
で、ただ打つだけじゃないんです。勝負強いんです。
そして、まぁ走りもするんです。
そしてそして、投手も投手三冠とかやるようなエースがいたんです。
まぁとにかく強かった。
あまりにも強かったので友達と野球ゲームをする時はダイエー禁止でした。
そして禁止と言われる度に僕は決まって、
「更にウチには小久保がいるんだからな!?4番がいねーのにこの強さだぞ!?」
と、お前はどの立場で喋ってんだ?というようなことをドヤ顔で言っていたのを覚えています。
ですので、あの事件は凄くショックでした。
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